「1990年の少年」駄文の実験場

妄想の日々を文書化しブログに流し込む事にしました。例えるなら脳内のトイレです。

陰キャは普段何を考えて生きているのか

陰キャの皆様、こんにちは。

今日は「陰キャ」は普段何を考えているかという事をまとめて行きたい。

 

陰キャ時代の到来

あなたは「陰キャ」という言葉がいつ頃から使われ始めたかご存じだろうか。

陰キャ」「陽キャ」という言葉は2000年代中盤以降に使われはじめ、インターネットカルチャーの広がりと共に言葉の意味も広く浸透し今に至る。

一昔前までは「ネクラ(根暗)」とか「ネアカ(根明)」という言葉を使うのが主流であった。

だが時代が進みインターネットを使うのが当たり前になり、パソコンやスマホが常時ネットにつながる時代になった。こうした事で一般市民の生活スタイル、趣味、性格、思考などのデータがダイナミックに、かつ大量にネット上に蓄積されて行った。その結果「コミュ障」「スクールカースト」などの新語を生んできたのである。そして、より的確にその人の存在感を表現できるような言葉として「陰キャ」「陽キャ」などの言葉が生まれ、一般的にも広く使われるようになったと考えられる。

だがこの言葉が生まれる前から陰キャ的な人々は世の中に存在していたと思われる。ただ、昔の時代は遠く離れた他人と交流するには、雑誌を通して文通を申し込んだり、電話を使ったとしても1対1での会話であったり、多くの一般市民たちが、同時に双方のコミュニケーションをとるには、情報量やリアルタイムさにとぼしく、あたりさわりのない交流しかできなかったであろうと考えられる。

インターネット時代が到来し、スマホが爆発的にの普及した事によって、よりダイレクトに、より短時間に市民同士が繋がるようになり、陰キャ的な人間という存在が世の中で無視できない勢力として浮き彫りになってきた。そこでこの世の中において、自分自身がは陰キャなのか、陽キャなのかという事が、自分の人生の立ち位置を決める重要な指標として認識されるようになったのである。

さて、当ブログでは陰キャはダメとか、性格変えなきゃいけないとか、そういう内容を言うためのものではない。陰キャ陰キャで、それはそれで良い所もあるのである。それは何か、すぐにはちょっと思いつかないのだけれども、思いついた時にまたブログにまとめて行きたいと思う。

ちなみにここまで読み進めてくれた「あなた」。あなは陰キャだろうか?陽キャだろうか?筆者には分かる。陰キャである。100%陰キャである。

なぜなら陽キャは、YouTubeとインスタグラム以外のインターネットを見ないからである。陽キャは280文字以上の文章を読んで理解する事が出来ないのである。わざわざブログを開いて、こんな文章を読んでいるような人間は陰キャしかありえないのである。

 

陽キャ陰キャの考え方の違いについて

では、なぜ陽キャYouTubeとインスタグラムしか見ないのであろうか。

陽キャは動かないものに反応できないからである。陽キャYouTubeのサムネイルでとりあえず勢いがありそうな動画があればとりあえず見てみる。インスタグラムで、なんか笑顔で楽しそうな写真や動画がアップされていれば、とりあえずコメントしてみる。

これが陽キャである。とても単純な構造で動いているのが陽キャなのである。脳の容量は「犬」と同等レベルである。あるいは生後6か月位の赤ちゃんと同等の知能かもしれない。この時期の赤ちゃんはとりあえず動くものがあれば、なんでも目で追うようにしている。まともな言葉を発することが出来ないあたりも、陽キャととても似ているではないか。

この「目で追う」のが陽キャだとしたら「目をそらす」のが陰キャである。陰キャはとにかく人を避けている。人と会話したくないし、挨拶もしたくない、誰とも目も合わせたくない。そう思いながら生活しているのである。

だからエレベーター前で知っている人が待っているのを見つけようものなら、わざわざその次のエレベーターに乗れるようにわざとらしく携帯電話でも見ながら、エレベータ前にたどり着くための時間調整をするのが陰キャなのである。

会社で仕事を終え、帰り支度している時でも同じである。

帰り支度が終わり、さて席を立とうかと思った瞬間に、他の誰かが一瞬早く席を立った場合、このままではエレベータでその人と一緒になり、最悪の場合、最寄駅まで一緒に歩かなくてはならないだろう。それは何としてでも避けなければならない。もうパソコンは落としてしまったので、わざとらしく鞄の中身をグルグルかき回して何か探すような仕草をしたり、わざとらしくシャットダウンしたパソコンのモニターをニヤニヤしながら眺めていたりするのである。そうこうしているうちに、先に出て行った人が、エレベーターを乗り終えたかなというタイミングを見計らって、席を立ち、誰もいないエレベータへ一人で乗り込む。そしてエレベータの中で一人、ほくそ笑みながら鼻歌を歌う。それが陰キャという人間の人間性なのである。

もう一つ、別の話がある。

陰キャは人とうまく会話する事ができない。だが、それは自分自身の問題ではないと考えている。ではどこに問題があるかというと、陽キャ側のコミュニケーションのやり方に問題があるのである、という風に考えているのが陰キャの思想なのである。

どういう事かというと。陽キャはコミュニケーション雑なのである。陰キャ側の人間に言わせると、陽キャは誰でもいいから適当に声を掛け、適当に話をし、大きく高笑いしている。自分自身をコミュニケーション強者だと信じ混み、対外的なアピールをすることにも力を入れている。ただ、そこには底が浅く、血が通った会話は行われていない。非常に薄っぺらいコミュニケーションを行っている。と陰キャは考えている。

それはつまり、いつ話し始めてもいいかどうかの判断もできず、空気が読めない人間が、面白い話術の組み立ても出来ないのにダラダラと話をつづけ、思考が浅く、笑いの沸点が低いため、低次元の会話で満足している。と、陰キャ側の人間は、陽キャ側の人間に対してこのような評価を与えているという事である。

陽キャはよく飲み会や、合コンなどを定期的に実施している。陰キャはそれらの無意味な会合には一切参加するつもりもないし、参加したこともない。

とくに「飲み」とは何なのであろうか。「のみ(笑)? 」何を飲むのかすら表現できていないではないか。早くお薬でも飲んで家でおとなしくしていろという事である。そもそも「飲み」という言葉自体「み」で終わるが、そんな言葉は「渋み」くらいのものである。渋みのある飲みがしたいなら「綾鷹」でも飲んでいればよいではないか。

つまり、飲みの場で特に面白い話もできない奴らが「オレがオレが!」と間髪入れずに話し続け、あげくの果てにはアルバイトの女子大生のの店員にまで声を掛け、愛想笑いで返してくれたのを本気でウケたと勘違いしているのが、陰キャ側から見た陽キャの姿なのである。

なぜ陰キャは、飲み会に行かないのか。それは相手側の話が面白くないからである。飲み会に行って、面白くない話を聞いているくらいなら、家で録画したお笑い番組でも見ていた方がいくらかましだというものである。飲み会でせいぜい5、6人相手にイキっているヤツの話を聞くより、日本国全体に向けられた数百万と視聴されているテレビの中の芸能人の話を聞く方が圧倒的に面白く、充実した時間を過ごせるだろう。陰キャはそのように感じながら日々を過ごしているという事である。


陰キャは一体どこにいるのか

さて、ここまで陰キャの生態をご紹介してきたが、皆さんは自分以外の陰キャの人間に出会った事があるだろうか。おそらくレアポケモン並みに出会うのが難しいのではないかと考えられる。

まず、人と目を合わさないのが陰キャである。陰キャが外を歩いているときはHUNTER×HUNTERでいう所の「絶」の状態である。常に自分の存在を消すように歩き、オーラ纏わず、足音も立てずに歩く。知人と道ですれ違っても何事も無かったかのように「スルー」するのが陰キャである。

この事実を踏まえると、誰とでも目を合わそうとする陽キャ側が、目をそらす側の陰キャを見つけない限りは、陰キャ同士が街ですれ違いざまに出会う事はないであろう。陰キャはたとえ相手が陰キャあろうとも避けて通るというのが陰キャの流儀であり美学である。

また、陰キャは自ら人に話しかける事はない。だから陰キャが何か会話をするような事があるときは、必ず誰かから声を掛けられた時である。自ら人に声をかけないが、自分が人に声をかけられたときはヘラヘラしながら何か適当に会話を行う。そして自分が得意な分野の話題になった時だけ「めっちゃ早口で言う」のである。

陰キャは、自分の存在を隠しながら生きている。人に見つからないように生きているのである。飲み会に関してもどうしても行かなければならない場合にのみ参加する。最初の席決めの時も、適当にアホで鈍感そうな陽キャの隣の席を確保する。鈍感な陽キャは気を使う必要がないので、会話が続かなくても問題ないし、会話が成り立たなくても問題ない。そして意味が無く、内容も無い話を延々と続けてくれるので適当に話を聞くふりをしながら、頭の中では「帰ったら家で何のテレビを見るか」「何のゲームをする」かを考えているというのが陰キャである。

最悪、飲み会で一言も声を出さなくても陰キャ側の人間にとっては対した問題ではないのだ。飲み会にあつまるメンツに興味が無いし、コミュニティにも興味がない。会話の内容にも興味が無いし、誰が誰に嫌われていようが、好かれていようが一向に興味がない。

陰キャは飲み会に遅れて参加するという事もしない。よく途中から人が来た場合に「○○さん来られました~」という流れから、もう一回全員で乾杯をし直すという習慣に至っては意味不明である。なんで遅れてきた人にスポットが当たるシステムになっているのか。陰キャ側の人間にとってみれば、そういう流れになるのが嫌であるために、飲み会途中参加という道へは進まないように計算しながら生きているという事である。

では最後になるが、皆さんも街で陰キャを見つけた時は暖かく見守っていて欲しいものである。

仮に、街で知人の陰キャを見つけ、こちら側から目を合わせに行くとしよう。そして偶然「陰キャと目があった」としよう。そこまでしてもこちらから声を掛ける事をしなければ、陰キャは「スルー」して何事もなかったかのように通り過ぎて行くであろう。

是非、皆さんもこのレアポケモンをゲットして欲しいものである。きっとポケモン預かり屋でも受け入れ拒否されるに違いない。