「1990年の少年」駄文の実験場

妄想の日々を文書化しブログに流し込む事にしました。例えるなら脳内のトイレです。

内向的な自分が大学時代に考えていた事とか②

アンネの日記を読んだ時に感じた事

さて、前回のお話の続きを進めてきたいと思います。

私は大学に入ってからはサークルや部活動といったものにいっさい参加せず、毎日ずっと家と大学を往復するという事を繰り返していました。

中学高校時代はクラブ活動をやっておりましたので大学でもどこかに所属すれば良かったのだと思いますが、大学では部活には参加することがありませんでした。

その理由の中心は、大学がちょっと家から遠く片道1時間半かかるからというものでした。

ですが、それ以上に他人と一緒に過ごしたいとう気持ちが希薄になってきており、ちょっと一人で考え事をしたいな、とかそんな気分になっていたことが一番大きかったかもしれません。

私が大学生として入学した学部は、生徒全員がノートPCの所有が必須であるという特徴がありました。1999年に大学に入り、当時の東芝ダイナブックが学校指定のパソコンだったので同級生はみんなそれを持っていました。

当時のノートパソコンはWindows98で、InternetExplorerはバージョン4でした。メインメモリは500M、ハードディスクは2Gくらいでしたでしょうか。

それでも当時はそのノートPCの性能は十分であり、とても楽しいインターネット生活を送る事ができました。

今のようにインターネットが成熟しておらず、アンダーグラウンドの延長線上にあるような世界で今のように大手企業が制圧しているような状況もなく、皆が平等に草の根運動のように自由に活動できるというような世界だったように思います。

私は毎日その大学のLANにノートPCを接続して、チャットルームでいろんな人と会話をしたり、学校内にも少し話す程度の友達もいて、だらだらと大学生活をしていたという状態だったかと思います。

そんな時、私は「アンネの日記」という本と出合いました。

アンネの日記に関しては前回のブログで少し触れていますが、私はこの本を読んで衝撃を受けました。おそらく一生で一番のインパクトのある出会いだったかもしれません。

今現在、私は社会人として16年のキャリアを経験してきましたが、私という人間を形作っているきっかけをこの「アンネの日記」という本が与えてくれたようにも思います。

さて、この本ですが私が読んだのは1回で、気になる箇所のみを2回目読んだといった程度だったでしょうか。しかしながらこの本はとても素晴らしいと思います。おそらく何度も読み返している人も多くいるのではないでしょうか。私自身はそんなに多く読み返してはいないので、本当のファンの人には申し訳ないという感じです。

しかしながら、現実の世界では当人はもうすでに亡くなっており、直接アンネフランクに気持ちを伝えるという機会や手段を私たちは持っておりません。

人はいつか亡くなってしまうものです。会いたいと思った人が亡くなっていた場合、その人には会えないという事を肝に銘じておきたいものです。

織田信長に会いたい。坂本竜馬に会いたい。と思ってもその願いはかなう事はありません。

それなのに、会社や学校にいる「会いたくない人」には会わざるを得ないのがこの現実社会というものです。

会いたくなのに会わざるを得ない人、それはしょうがないけれどもど付き合っていくしかありません。生きている間に会う機会を与えられた人達と共に歩んで行くのが人生です。

はい、すみません少し脱線してしまいました。

アンネフランクという人物。それは皆の心の中に生きています。本人は既に亡くなっていますが、皆の心の中で生きる事でジャーナリストになりたいという夢を今もなお追い続ける事ができているのです。

アンネフランクは自分の気持ちを日記という形で文章にまとめました。それがやがて書籍になりました。そういう事で自分の考えを継承し、他者へ影響を及ぼし、世界を少しずつ変えていく。そんな事が戦争が終わった後にアンネの父親がその日記帳を書籍として出版したことをきっかけに起こったのです。

これはもう立派なジャーナリズムではないでしょうか。13歳のアンネが孤独の中で一人書き進めていた文章が世界に認知され、人々の心の中に投影され、少女の考えや気持ちが世界中に知れ渡ることになりました。

少し前に「マララさん」というパキスタン人が国連でスピーチをするという出来事がありました。これも戦火に巻き込まれた少女が自分の意思を明確に言葉にして世界に伝えるという事で、アンネフランクと被ってみえるようでもありましたね。


■自分自身の考えを言葉にしてまとめるという事

さて、13歳の少女が書き始めた文章を読んで、18歳のネクラの毎日ダラダラと過ごしている男子大学生はショックを受けることになるのです。

人間ってこんなにも考える事があるのか。ユダヤ人に対する迫害から逃れて、隠れ家のような狭い場所で毎日生活を続けていると、とんでもないことを考えたりするのだな。読み始めた最初の頃の感想はこんな感じです。

実際のアンネの日記の本の内容は、適当にページを開いてただ読んでいるだけなら、とりとめのない少女の戯言といっても過言ではないかもしれません。

この「アンネの日記」という本は、何か孔子孟子のような偉そうな先生の有難い言葉を編纂したというような書籍でもないのです。

本当に等身大の13歳から15歳にかけての少女の悩みが赤裸々に記載されただけの本というような本だと思います。

それでいながら、アンネが考えている事や、恋や人間関係の悩み、世界情勢に対する不安、将来の夢といったものが手に取るようにその文章から伝わってくる。これほどリアリティをもって語り掛けてくる。そんな魅力が詰まっている本だと思います。このような本は私は読んだことがなかったのです。

人間ってどこまでも考えて、考えて、考え続ける事ができるのだなと、私はこの本を読んで思うようになりました。

私は大学に入ってからというもの大学生らしい生活をいっさい送っておらず、友達もほぼいない。毎日家と学校を往復するのみ。

それでいながら、特にサークルに入って生活を充実させたいと思うようなこともなく、一人で淡々と生活している。

ある意味で、悩んでいたのだと思います。一人でも平気だと、強がっていながら内心はずっとビクビクしていた。

サークルに入って、適当に飲み会に参加したり、先輩後輩の関係を作ったり、彼女を作ったり、お酒を飲んだり、タバコを吸ったり。

そんな18歳で経験しそうな事をまったくやって無かったわけなのですから、私の人生これからどうなっちゃうんだろうという感じなのでした。(ええ、お酒とタバコは20歳からですので、それは知っています。)

潜在意識の下では「自分の人生は虚しい」そう考えていたのかもしれません。でも表には出せなかった。友達が欲しいけど欲しくなかった。そして誰にもそんな事を話し合える人がいなかった。そんなモヤモヤ感を抱えたまま、大学生活を送らざるを得なかったのだと思います。

でも、この本を読んだ後にこう思うようになりました。

「ずっと一人で悩み続ける事ができるのは自分の長所なんだと」

そういう風に思えるようになってきました。そんなきっかけをこの本から与えられたように思います。

18歳のこの時期、自分の事についてとことん悩み続ける時間を与えられたのだという風に考え直すことができるようになったのです。

こんなにも孤独に、こんなにも虚無な時間を、ただただ悩み続ける事ができるのは私一人だけだ。

他の一般的な大学生は、無自覚にただただ過ぎていく時間を過ごしているだけ。

周りの学生が刹那的な享楽に流されているその間に、私は自分自身がどんな人間かというものに目覚め、自己肯定感を持って、自分の人生を自分の手で歩みだし始めたのだ。と、そういう感じになっていったかと思います。

傍から見たらキモかったかもしれませんね。こうして文章に起こしてみるとなおさらキモい。さぞ実際もキモかったでしょう。

でもしょうがないのです。18歳で友達と楽しく過ごすことに意味を見出せなかったのですから、自分の性格を自分の長所ととらえる事が出来るようになった。これがとても重要な事なのです。

自己肯定感とでもいうのでしょうか。そうですね私が大学生だった頃、この言葉も無かったような気がします。

私はただ、やみくもに悩み、孤独の中で生活していました。

しかし、ずっと考えて続けてもいいのです。考えて考えて考え続けて納得の答えがでなくてもその孤独に耐えるだけの精神を持ち、その内向的に考えることにおいては誰にも負けないくらいのエネルギーを持っている。もしそんな人がいたとしたら、そのエネルギーはいつか自分の人生を動かしていく力になりますよ。私がおそらくそんな感じでしたのでね。

アンネの日記を読み、自分の毎日の生活と似ているような気がして、私が自分のために考えている時間は無駄な事ではないんだというように思えるようになりました。そして、そんな自分のまま生きていくしかない、そういう風に前向きに考えれるようにもなっていきました。


■自分の幸せは自分で決める

さて、大学生というものは就職活動と切っても消えれない関係性にあります。大学の4年間はその就職の準備期間といっても差し支えはないような気がします。

私は1980年に生まれ、日本の高度成長時代の余韻とバブル後の平成不況の荒波の中で少年時代を過ごしてきました。

子供のころから何不自由なく生活し、楽しいこや逆に辛い事も沢山ありましたが、単に生きていくだけであれば、何も困ることは無い、そういうような時代のようでした。

よく会社の戦後わずかの期間に生まれた人の話を聞くと、少年時代は何もなかった、だから自分で作るしかなかったとお話されています。

逆に私たちの世代は生まれながらに人生のレールが敷かれており、それを丁寧になぞっていく事だけを大人たちから教えられたような気がしてなりません。

私はそんな誰かが決めたルールに沿って、真面目に生き続けなくてもいいと思うのです。

自分の幸せは何なのか、自分で決めてもいいと思います。

私の通っていた大学の教授がある言葉を言っておりました。

日本に生まれた日本人は豊かな時代を築いてきた。今度はその豊かさをアジア圏全体を巻き込んで創造していかなくてはならない。豊かな日本人がそれを実行する義務がある。

と、このような趣旨だったでしょうか。

この言葉の意味することは、もう一つあります。日本という単一の国家だけではもう個人は幸せになることはできないという意味にも受け取れる事ができるかと思います。

日本は戦後に急速に資本主義社会が進み、奇跡ともいえる発展を遂げてきました。しかしながらそれは資本主義が進んだ結果というだけの話で、特に日本人が偉いとか、日本国は素晴らしい国だとか、私はそういうのはちょっと違うような気がします。

実際に日本に暮らし、幸せを感じる事はどんな時でしょうか。一つ一つリストアップしていったとき、おそらく2、3個で終わってしまうのではないでしょうか。

資本主義社会による発展の臨界点を迎え、これからは人口減、経済の縮小という時代がこれから訪れます。

普通に平均的な大学時代を送る、普通に平均的な社会人として過ごす、こんな事で本当に幸せになれたのは、資本主義社会が継続的に発展していくという前提が敷かれているという事に注意しなくてはなりません。

これからは社会の構造がどんどん加速度的に変化して行き、普通の暮らしというものがどんどん変わってくると思います。

そんな時、時代の節目や人生の節目で自分自身を見失わないようにしたいと私は思います。

周りに流されるだけの人生ではなく、自分自身の手で、社会を歩んで行きたいと思う。

自分が幸せになれると思う事を一つ決め、一年に一回でもいいからそれを実践して行きたいと思います。

最近の私なら一年に一回、何か一つの家電製品を最新の物に買い替える、という事をやっています。

どんな小さな事でもいいから、自分の幸せを自分で設計する。こんな風に考えてみてもいいのではないかと思います。