「1990年の少年」駄文の実験場

妄想の日々を文書化しブログに流し込む事にしました。例えるなら脳内のトイレです。

カレーパンマンは出番が無い時、何をしているのだろうか

こんにちは。

今回はカレーパンマンに関して色々と考えを巡らせてみたいと思う。

普段我々はあまりカレーパンマンに関して考える機会が少ないように思われる。年に1回くらいは彼に対して思いを巡らせてみても良いではないだろうか。最近書いている記事が傾向的に、内容が重くなってきているため今日は気楽にやって行きたい。


カレーパンマンアンパンマンとの違いについて(辛さ2倍)

さて皆さん、カレーパンマンアンパンマンの違いについて、まずはここから考えてみたい。

カレーパンマンは誰かがピンチの時にどこからともなく颯爽(さっそう)とやって来ては、素早い動きで敵を倒し、またすぐに颯爽とその場を去って行くのである。

また、誰かがお腹が空いていると分かれば、どこからか「ご飯」を持ってきて自分自身のカレーをかけて、とてもおいしい「カレーライス」を食べさせてくれる。

えっ? カレーライス? ライス(笑)? ごはん? カレーパンじゃないの?

そういえば何でだろう。これは自分自身の顔の欠片を他人に食べさせている「アンパンマン」の存在を軽く否定しているように見える。どこからともなく「ライス」を出してくるあたりからみても「パン」を作っている「パン工場」の存在を否定しているようにも感じられる。

カレーパンマンは自分自身の顔を食べさせてあげるという「アンパンマン」が作った前例、設定、生きて行くためのルールを完全に無視し「カレーパン」を与えるのではなく「カレーライス」を提供している。そして「カバオ」や「ウサ子」らはおいしそうにカレーライスを食べる。カレーパンマンは自分の顔を傷つけることもない。お互いWinWinの関係を構築してしまっている。

この一連の行動に関して、もし仮に「アンパンマン」が同じような事をした場合どうなるだろうか。

アンパンマンは街でお腹を空かせた子供たちを見つけ、どこからか「白玉」を出してきて自分自身の「餡子」と混ぜ合わせて美味しい「白玉ぜんざい」を食べさせてくれる…。そして「和風総本家」からテレビ出演依頼が来る…。という事になってしまう。これでは名犬チーズも廃業しなければならなくなってしまうだろう。時代は豆柴を求めているのだ。

つまり、カレーパンマンはひそかにアンパンマン以上の事をしていたのだ。自分の手で作れるのである。手作りカレー。初めて一人暮らしを始めた大学生(男子)が初めてボロアパートで同じサークルの不細工な女(後に化粧で覚醒する)にカレーを作ってあげるかのように、手作りカレー、作れるんですよ!自分自身のこの手で!

理論上、カレーパンマンがカレーを自分で作れるという事はアンパンマンも自分で餡子を作れるという事になるだろう。しかしながらアンパンマンは自分で何かを作るという事は行わず、いつもパン工場の命令のままに動いているように見える。

いつも同じ空をグルグルとパトロール巡回し、この空は自分の縄張りであるかのように威圧し、けん制する。特にお腹が空いている訳でもない「誰か」対して無理やりアンパンを食べさせ無理やりお金を請求する。その日の作業がほぼ終わった後も引き続き「誰か」をジャム工場に引き連れて行き、ネチネチと説教を垂れ、夕日が暮れる頃に「もうこんなことしちゃダメだよ」と偉そうに訓示を垂れる。

アンパンマンと、そのボスであるジャムおじさん(老害)が毎日、生産性の無い作業を繰り返しているという事は、さんざん当ブログで指摘してきた通りである。(そうなの?)

カレーパンマンは自分でカレーライスを作れるほど自分自身が自立した存在であるのに対し、アンパンマンという男は自分自身で餡子を作る事が出来ず、パン工場から提供される「顔」だけを頼りに生きている。それはまるで自分自身のアイディンティティを自身の勤める会社そのものに投影させている古い体質のサラリーマンのようである。つまりアンパンマンという男は、ブラック企業に勤める日本のサラリーマンのようなもので、彼はそういう男なのである。

つまり、カレーパンマンアンパンマンの違いとは、自立した存在であるか否かであり、自立して生きているカレーパンマンの方が圧倒的にかっこよいと思われる。皆様はいかがお考えだろうか。


カレーパンマンの強さの秘密(辛さ10倍)

先ほど実は、Wikipediaカレーパンマンの項目を見てきたばかりなのだが、色々と参考になる情報が記載されていた。皆さんもカレーパンマンの事を知りたいのなら是非そちらの方も参照して頂きたいと思う。

さてカレーパンマンの事を調べて行くうちに気になるキーワードを見つけてしまった。

それは「強さとは辛さである」という言葉である。

この「強さとは辛さである」という言葉を見た時、筆者もかつて同じような事を言われた事を思い出した。筆者はかつて知り合いの中国人にこう言われたのである。

「うまさとは辛さである」と。

つまり彼の言った意味とは、どんなものでも「辛ければ辛いほどうまい」という事である。これはなんというか「あま味」や「うま味」や「塩気」など総合的なバランスを整える日本料理の考え方とは根本的に異なり、だた「辛い」だけでOKとする、ガバガバ設定の考え方なのである。さすが中国というか、懐が深いとはこういう事を言うのだろう。

つまりカレーパンマンは中国人である。(いや、たぶん違う)

ちなみにカレーパンマンの中国名は「咖喱超人」である。いっぽうで、アンパンマンの中国名が「面包超人」であり、これを普通に解釈すると「パン超人」という意味になる。また、この翻訳結果を見ると、アンパンの餡子の意味合いが削られているという事が分かるだろう。

餡子は日本の和菓子の文化の中心的存在であるので、中国語にそのまま翻訳して通用するものではないのであろう。中国語に翻訳する際に、餡子の要素を削ったのはいい判断だと思われる。

それと同じノリでカレーパンマンは「咖喱超人」である。「カレー超人」とでも解釈すれば良いだろうか。なんだか「キン肉マン」に出てきそうな名前になってしまった。

ここに来て「パン」の要素すら無くなってしまったのである。だからいつも「ライス」に浮気していたという事であろう。

カレーパンマンはかつてジャムおじさんの手によって作られた存在である。アンパンマンのお兄さんのようなものでもあり、アンパンマンの先輩である。

しかしながらカレーパンマンブラック企業のボスであるジャムおじさんに反発し、パンを捨て、ライスに生きる道を求めたのである。そして隣の中国に行き、覆面カレーレスラーとしての再生の道を歩むことになったのである。


カレーパンマンは普段何処で何をしているのか(辛さ100倍)

さて本稿のタイトルにもあるようにカレーパンマンは普段どこで何をしているかという所に焦点を当ててみたいと思う。

カレーパンマンは戦いが無い日は、のんびりと草原でお昼寝をしているイメージがある。だが実はこれは好感度を上げるためのメディアの都合で用意した宣伝用イメージであり、写真や映像は作られたものである。

では実際、カレーパンマンは普段どこにいるのであろうか。

それは「冷蔵庫」である。

カレーの保存は「冷蔵庫」で2~3日。「冷凍庫」でだいたい1週間程度が限界なのである。

そしてカレーを冷蔵庫から取り出し、常温で放置するのは極めて危険である。カレーは雑菌が繁殖しやすいのだ。

カレーパンマンは雑菌の繁殖を防ぐため、通常は「冷蔵庫」の中で待機せざるを得ない。アンパンや食パンが常温で2~3日持つのに対し、カレーパンは常温のまま翌日まで持ち越すのはとても危険である。

だから我々は、アンパンマンが空をパトロールしたり、しょくぱんまんがトラックでパンを配送したり、時々ちょっとしたプライベートの顔を見たりすることはあるのだが、カレーパンマンに関しては私生活があまり公開されていないという事を、うすうすと感じ取ってはいなかっただろうか。

その裏には、常に冷蔵庫の中で待機せざるを得ず、常に冷たい空気の中で無表情のまま1点を見つめている、本当は外に出たいのに冷蔵庫の奥底に追い込められてしまっている…、そんなカレーパンマンの姿があるという事をこの場で理解しておいて頂きたいのである。

カレーは常温保存できない。という事が人ひとりの人生の時間のほとんどを「冷蔵庫」で過ごさせる羽目においやってしまったのである。

だが、人ひとりを冷蔵庫に押し込めたまま終わる当ブログではない。問題提起をしたならその解決案を出してこそ「ソリューション」なのであると上司に教わらなかったか。

ここでオリジナルキャラ「冷蔵庫マン」の登場である。キャラクターボイス(CV)は中尾隆聖さんにでもお願いしよう。一人称は、第一形態の時は「わたし」で、最終形態の時は「ボク」になります。ばいきんまんと戦闘になった時にちょっと話がややこしくなりそうですが…。

カレーパンマン冷蔵庫マンとペアを組めば、半永久的に活動できるのではないだろうか。通常時は冷蔵庫の中に入り、戦闘時だけ外に出てくる。そして戦闘後にまた冷蔵庫の中に入る。ちょうど「ミルクぼうや」と「あかちゃんまん」の関係を思い出して頂ければ良いだろう。世の中は、何かパートナーみたいな人がいると安心して生活していけるという事であろう。

アンパンマンと、カレーパンマン、まったく方向性の違う二人であるが、皆それぞれの正義を胸に生きているのである。

皆様も是非カレーパンマンが登場した時は応援してあげて欲しい。