「1990年の少年」駄文の実験場

妄想の日々を文書化しブログに流し込む事にしました。例えるなら脳内のトイレです。

陰キャとカラオケの関係性について考える

 

陰キャの皆様こんにちは。

今日は陰キャの皆様が「カラオケ」とどう向き合っていくべきか、陰キャが考えるカラオケとは何なのかという視点で記事をまとめて行こうと思う。

 

■大人数でカラオケなんかに行って何が楽しいのか

さて、このブログを読んでいるあなたはカラオケに行くような機会があるだろうか。ひと事でカラオケと言っても様々なものがあり、普通のカラオケボックスから、町内のカラオケ大会や、フィリピンパブでカラオケを歌う事など、実に様々なカラオケの形が存在している。

例えば大学のサークルやゼミ仲間、社会人なら仕事仲間、中高生なら友達グループ、そんな日常のお付き合いのある人間関係の中で急に訪れるこの瞬間、「みんなでカラオケ行こう!」という突発イベント、そんな時にまず陰キャが考えるのは「いかにして自然に、そしてさりげなくその輪から離脱して家に帰るか」という事である。

陰キャは、自分が所属するグループ全員でワイワイと仲良く楽しく過ごすという事に価値をみいだせず、時間の無駄であると考えている。

これが自分の好きな数人の仲間ならまだ大丈夫であるが、バイトや会社の仲間といったグループの場合、自分で選んだ仲間ではないので基本的に仲良くしたいとは思っていない。

だからこのようなグループでカラオケなんかに行こうものなら常に「うわの空」といった感じで、帰ったら何のテレビを見るかとか、帰ったら何のゲームをしようか、という事ばかり考えているのである。

100%譲歩して、皆でカラオケが行くという事が楽しい事だとしよう。その楽しさとは何だと思いますか。

それは、仲間やグループ全員で一体となり曲に合わせ歌い、踊り、酒を飲みながら一緒に騒ぐ行為、そのような行為で「仲間意識」が醸成され、それをお互い確認し合う行為である。ああ、お前も俺も仲間なんだよ!という事である。なんだかワンピースみたいな話だ。

そしてその場に参加しない人間は基本的に仲間外れである。あいつはダメだと、そう皆思うわけである。そして自分たちが相対的に優位だと自覚し、自己肯定する。たとえその場にその人が参加したとしても「一曲も歌わない」ならば、やはり仲間としての認定ランクが1段階下がるという事になるだろう。

そもそもカラオケとは何か、機械とマイクがあればカラオケなのだろうか。

1人ずつ順番に歌を歌い、ちょうど1周くらいしたころまだ歌ってない人に対して「まだ歌ってないじゃん?」とリモコンを手渡し、それでも歌う事を躊躇していると、誰でも知っている曲を勝手に入れられマイク持たされて「みんなで歌おう!」と言われながら、1番Bメロまでは一緒に歌うがサビのあたりから誰かが勝手に前にしゃしゃり出てきてマイクを奪われ別の人のターンになってしまうということもまた「カラオケ」なのだろうか。

カラオケとは、人によってはアニメソングが多い機種である「JOY SOUND」じゃないとダメとかいうこだわりもあるだろうし、採点機能が充実している機種が良いという人もいる。最近は「ヒトカラ」専門店もあるし、そもそもカラオケBOXで受験勉強したり、昼寝する場所として使ったり、女の子とチョメチョメしたり、実に色んな人がいるであろう。

このようにカラオケとは人によって関わり方が人それぞれであるという前提がある。そして陰キャにとってのカラオケとは何かという事もまた、一つのテーマとして掘り下げる事ができるのである。

 

■カラオケ好きの陰キャとは

では「陰キャ」と「カラオケ」の関係性を諸君らと一緒に考えて行きたいと思う。

さて、唐突だが世の中の人間は4つのタイプに分類される。

1.「陽キャ」でカラオケ好き
2.「陽キャ」でカラオケ嫌い
3.「陰キャ」でカラオケ好き
4.「陰キャ」でカラオケ嫌い

さて君はどれに当てはまるだろうか。おそらく3番か4番のどちらかだと思う。こんなブログをここまで読み進めてきた君は陰キャのエキスパートであろう。陽キャなら最初の100文字くらいで文章を読むことを断念しているはずである。

ではここからが本題である。先ほど、人間は4つのタイプに分類できるとしたがその3番目である「カラオケ好きの陰キャ」とはどのような人物であるのか考えて行きたい。

そもそも、陰キャとは、人と目を合わさず、自分から他人に話しかけない。誰かに話しかけられた時だけ会話をし、得意な分野の時だけ「めっちゃ早口で言う」というのが陰キャの定義である。

だから歌が好きな陰キャがカラオケに行くという時は「自分自身が歌を歌いに行く」という事が目的となるであろう。陰キャは誰かと一緒に騒いだり、楽しんだりという事は興味はないのである。

陰キャのカラオケに対するこだわりは自分自身が「歌詞を覚えているか」「フルコーラス歌えるか」「音程が合っているか」という事にしか興味がない。だから、陰キャがカラオケに行く場合はヒトカラに行くか、もしくはカラオケ好きな数人(2~3人)という状況が多いだろう。

先ほども触れたが、陰キャは大人数でカラオケに行くという事を嫌がっている。だから大人数でカラオケに行くという状況は意味不明であるし、何としても避けたいという思いが強い。

サークルの仲間や仕事仲間と皆でカラオケに行かなければならない時、何とかこじつけて参加しないようにするか、参加したとしてもずっと部屋の隅でジュースを飲んでいる。そんな行動を取ってしまうのが陰キャなのである。

歌って何だろうか、それは心躍るリズム、胸に深く突き刺さる歌詞、それらがメロディーラインに乗った時、その時に湧き上がるその感情の高まりの事を「歌」というのである。

アホな陽キャが、カラオケのリモコンでポチポチっとして「あ、あ、」「あれっマイク電池切れた?」「あぁ、入った・・・」「ウェーーイ!!」というようなものは歌ではない。雑音、もしくは騒音である。

そんな雑音や騒音を聞きにアホな陽キャと一緒にカラオケに行くくらいなら死んだ方がましである。自ら仏様となって仏壇の中で坊主の唱えるお経を聞いている方がいくらかましというものである。

 

■カラオケ嫌いの陰キャとは

さて、カラオケ嫌いの陰キャとはどのような人物であろうか。

カラオケが嫌いになる主な理由として「歌いたくない」という点があげられる。

人は生まれた時から、母の子守唄を聞き、幼稚園では童謡を歌い、小学校では意味不明の校歌を歌わされ、中学高校ではさらに磨きかかった意味不明な校歌を歌わされ、大学ではそもそも校歌を歌わなくなるのである。

皆さんは子供の頃「大きな栗の木の下で」を合唱した事はあるだろうか。筆者はその歌を幼稚園で歌った次の日に、実際に栗の木の下で遊んでいたところ、栗が頭の上に落ちてきてそのトゲが頭に刺さった事がある。

その日以来、大きな栗の木の下で遊ぶのは危険であると世の中に警鐘を鳴らしているのであるが、いまいち浸透せず非常に残念である。

世の中の多くの人は、幼稚園や小学校で歌のお勉強をする。その時、うまく乗り切れるかどうかでその後の人生の歌を歌う場面での明暗がくっきりと分かれてくる。

そもそも陰キャは、普段から声を出す事が極端に少なく、学校の朝の3時間目に音楽の授業で、その時初めてその日の第一声を発するという事も珍しくない。

だから声の出し方や、音量の加減も分からないし、自分の声も小さいので、音程が合っているのかもよく分からない。そのような事を繰り返していく内に、だんだんと歌を歌えない人間というものが出来上がって行く。

一方で、人前で歌うのは嫌いだが、歌を聞くのは好きという人もいるだろう。

そのような人は、いつもテレビやラジオで気になった歌をネットで調べたりYouTubeで聞いたりしている。ひと昔前なら、レンタルショップでCDを借りたり、CDシングルやアルバムを購入しCDプレイヤーで聞いたり、MDに録音して聞いていたであろう。

中学や高校で好きな歌手やグループに出会い、日々の生活の中で辛く苦しい時、急に道が開いて人生が大きく動き出した時、いつでもその好きなグループの音楽と共に苦しい時も楽しい時もいつも一緒に生活をしてきた。

時には歌に慰められ、励まされ、ここぞという時には大きく背中を押してもらった。そんな思い入れの強い曲は皆それぞに何曲か心の内に秘めたものを持っているものである。

それを、それをですよ。わけが分からないまま入社した会社の飲み会の2次会のカラオケで、禿げた頭のおっさん上司や、毎日何も考えていない脳筋の同僚たちや、パリピでウザい後輩たちの目の前で、自分の人生を十何年支えてきた、大好きな歌手の、その大好きな曲を、カラオケという低レベルの音源で、過剰な演技をするモニター映像をバックに、自らマイクを持ち、歌えますか? 歌いたいですか? 歌えないでしょう? そうですよね?

これは他人の前でパンツを脱ぎ自分の陰部をさらすような、恥辱極まりない行為だという事である。したがって、人前では断じてカラオケで歌う事は無いと断言しようではないか!

 

陰キャはカラオケとどう向き合うべきか

とは言え、好きな曲を歌うという事は実際は気持ちが良いものである。それが人前かどうかはあまり関係ない。人は年を取って行く度に社会を動かしている道理を知り、自分はちっぽけな存在だと感じて行く事で大人になって行く。カラオケで歌えるか歌えないか、歌が上手いか下手かなどは、この世界の人間の全ての活動からみたら取るに足らない小さい事である。

カラオケに行きたくない、歌いたくないと思うのはあなたが若いからである。年を取ると友達もいなくなり、そもそもカラオケに行く機会も失ってしまうであろう。

それでもカラオケに行かなければならない場合「音階の幅が少ない歌」「リズム中心の歌」「みんなが知っている歌」を中心に歌っていけばよい。カラオケ初心者用の情報を検索したら色々と出てくると思う。

世の中の何万曲とある中から、たった一つでも「カラオケ」の場を切り抜ける歌を持っておくと良いだろう。1曲でも歌うと、その所属グループから「仲間」でいる事の許しを貰えるのではないだろうか。あるいは「仲間」でいる事を拒否し、陰キャの神になるもよし。それもそれで一つの道である。

どうしてもカラオケに参加しなければならないなら、ヒトカラで練習するのもいいだろう。最初は入店して1時間何もせずに退店しても良い。何回か入店して、気が向いたら歌ってみてはどうだろうか。最初の1曲目はとても歌えないと思うだろう。しかし、がまんして同じ曲を3回歌ってみるのである。少しは上手く歌えるようになるだろう。