「1990年の少年」駄文の実験場

妄想の日々を文書化しブログに流し込む事にしました。例えるなら脳内のトイレです。

内向的な自分が大学時代に考えていた事とか①

■私という人間について

こんにちは。私です。(えっ?誰?)

実は今日はお話があります。っていうかお話は毎日あります。どんな些細な内容であろうと毎日お話はあります。

逆にお話が全く無いという日はありません。そうですよね、そんな日はないでしょう。そんなつまらない出来事だとしても、人というものは必ずお話があるのです。朝は電車が遅延したとか、お昼は牛丼を食べたとか。

しかしながら、私は中学生時代まったく話す内容がない「無」の時間を過ごしていたような期間があります。そしてその時代は、私は毎日ほとんど誰とも会話をせずに過ごしていたというような気がします。

私の中学時代はまったくといっていいほど人と話をする事がありませんでした。社会人となって16年経った今現在でもたまにそういう日もあったりしますが、今以上に昔の私は人と話をすることがありませんでした。

例えば中学生時代、私はソフトテニス部で3年間活動をしておりました。私が2年生の時、一つ上の3年生がクラブを引退した時は私がその部の副部長になりましたので、それなりに存在感をもって頑張っていたと言ってもいいかもしれません。

しかしながら自分の所属していた3年2組のクラスの中ではというと、常に机の上で寝ているふりをしていたという友達のいない感じネクラな男子だったかと思います。

私も3年生になってクラブ活動を引退した後の学校生活というものは、クラスに友達もおらず、本当に毎日何もせず無風で無益な日常をただ繰り返していたような気がします。

自分が中学3年生の1学期を終えた時、そのクラブを引退したあとの中学校での思い出というものはほとんどなく、唯一おぼえているのは、教室の片隅でこっそりと「ドラゴンクエスト5」の小説を読んでいたというような事くらいでしょうか。

当時の私は「久美沙織」という作家が書いたこのドラゴンクエスト5の小説を、毎日教室の片隅で毎日読んでいました。ただ、中学3年生のクラスの中で、誰とも会話することなく小説を読み続けるという事がかなり浮いているという事も承知の上でやっておりました。正直なところは、少し恥ずかしという気持ちを持っていたのも事実であります。

私は学校のクラスの中で何かをしたとか、友達と話をしたとか遊んだとか、そういう記憶というものはいっさい無く、スライムの「スラリン」やスライムナイトの「ピエール」と一緒に世界を大冒険したという記憶だけが今でも心に残っています。15歳だった私が持っていた記憶はその1つだけなのです。

このドラクエ5の小説に出てくる仲間モンスター「スラリン」が、ある強敵との戦闘で壮絶な死を遂げた時でさえ、私は教室の片隅で表情ひとつ変えずに小説を読み進めていたのです。私が中学生3年生だった頃なので、ちょうど1995年頃の思い出でしょうか。

私はいったい当時は何を考え、何を食べ、どうやって生きていたのでしょうか。中学生というものはちょうど大人への入り口の付近にあたります。まわりの皆がちゃんと大人への階段を登ろうとしている時、私は必死に子供のままでいたいという風に抵抗でもしていたのでしょうか。

中学時代はいろいろなわだかまりがあったようにも思います。家庭の事、クラスの事、先生の事、クラブ活動の事。しかし、そうは言いつつも、まったくわだかまりは無かったようにも感じられます。実際はどっちだったのかも、自分の事なのに何もわかりません。

とにかく毎日頭が重く、暗く、先行きが不安で、空虚な時間を過ごしていたような気がします。

いじめも当時はありました。いじめに至る集団心理、同調圧力があった事ははっきりと覚えています。いじめを解決しようという風潮が生まれ、それが見事に失敗に終わったという思い出もあります。日本の子供にとって、いじめというのは普通に当たり前に、子供たちのすぐ近くにある事なのです。

中学生と言えば、中二病の全盛期でもありました。実際当時は中二病という言葉もなく、何かわからない思春期のモヤモヤ感だけが私の胸に内にありました。私はそれを誰にぶつけるのでもなく、一人孤独に胸の内に抱え込んで日々の暮らしをしておりました。

当時からテレビを見たりゲームをするのが好きで、小説も少しづつ読み始めていました。当時読んでいたドラゴンクエストの小説も今で言うと「ライトノベル」的なものだったのでしょう。当時はライトノベルという言葉もありませんでしたね。

私は別に友達がいなくても焦っていたという気持ちはありませんでした。ある意味心が強いのだと思います。母親に鍛えられたのでしょう。別に友達がおらずとも毎日を一人で無言で過ごし、無言の中に生きていたのです。

私が中学校で声を発したのは授業で先生から当てられて、その答えをクラスのみんなの前で言う時だけです。私は教室内で一切言葉を話さない生徒でした。それでも何とか心は折れずに暮らしていました。その当時ある意味、中二病を発病していたのかもしれません。
今にして思うと、私は中二病という大病を患ったからこそ、自分と向き合う強い心が育まれ、今現在の私があるのかもしれません。

私の人生は例えて言うなら、小中高大と進むにつれ「明」と「暗」を繰り返していたような気がします。

小学校はそれなりに楽しかったので例えるなら「明」だったと思います。

中学時代は暗くジメジメした「暗」でした。

高校はそこそこ楽しく過ごしたので「明」でした。

大学は完全なる「暗」でした。

 

■大学生時代に考えていた事

そして、ここからが今日の本題になります。

私の大学時代の事を少しまとめておきたいと思い、久しぶりにパソコンを開きました。

こんにちは。私です。(おっ、おう!)

私の大学時代、先ほどの話では「暗」だったという事ですが世間の大多数の人からみたら私の大学生活は面白味の全くない退屈なものだったでしょう。

私はもともと、人と馴れ合うのが好きではなく、高校時代も部活動をしておりましたが、部活動以外の時間にその仲間と一緒に過ごすということはありませんでした。

また他人と好きなものを共有したいと思う事も少なく、好きな漫画とかゲームとか小説とかを趣味が同じメンバー同士集まってワイワイと会話するような、そんな仲間は基本的に必要ないと考えているような高校時代を送っていました。

そんな私だったので大学に入学した直後は淡々と大学と実家の往復運動を頑張っておりましたので、サークル活動とかクラブ活動とかにはいっさい参加しませんでした。

中学から高校にかけてはクラブ活動はしていましたが、大学に入ってからはキッパリと止めました。

なんでそんな判断をしたのか、おそらく自分一人の時間が欲しかったのだと思います。

部活やサークルはある特定の集団に所属する事になるのですから自分一人の時間はありません。集団に所属するという事はそのほとんどの時間を他人のために使う必要があります。

私はそれを中学と高校とで続けてきたのだから、今回は自分だけの時間を作って自由に生活したいと思っていました。

そして大学入学直後からそんな感じだったので、少しは仲良くなった友達関係もあったものの、基本的に一人で学校へ行き、一人で授業を受け、一人で家に帰るという生活を繰り返していました。

大学に入学したのは1999年の事です。

1999年の春から2003年春の卒業までの4年間、長い一人旅に出ていたような感覚でした。

朝、大学に行って講義を受けます。

他の学生達は沢山の友達と一緒に座りウェーイとか言いながらワイワイと授業を受けていたその時、私は常に一人で誰とも会話をすることもなく黙々と授業を受けておりました。

私は当時、特に友達関係を増やしたいとも思ってなかったので今の言葉で言う所の「キョロ充」にならずに済みました。どちらかというと私は「ソロ充」のほうだったのでしょうが、実際はそんなかっこいいものではありませんが…。

この頃に私が考えていた事。

なぜ周りの人間は友達といつも一緒に楽しく遊んでいるのか。

なぜ私はそんな友達関係を必要としなくても淡々と日々を過ごしているのか。

そんな事を毎日考えていました。

私も深層心理の深いところでは友達が欲しかったのかもしれません。しかし、その関係を維持することのめんどくささの方が勝り、もう友達なんか要らなくてもいいわ、という精神状態に向かっていったのだと思います。

 

アンネ・フランクとの出会い

そんな大学生活を送っていた当時、一冊の本に出合うことになります。

アンネの日記 完全版」という本です。

完全版という名称が付いていたので、完全版じゃないバージョンもあるのだろうと思われますが、私が最初に読んだのはこの完全版のほうでしたので、こちらの内容しか知りません。

アンネの日記」という作品をご存じない方のために少し補足をいたしますが。この作品はユダヤ人である13歳のアンネ・フランク第二次世界大戦下のオランダで、ユダヤ人差別による迫害を避けるために家族で一緒に隠れ家で隠遁生活を送っているときに書かれたアンネフランク本人が書いた日記風の独り言の寄せ集めみたいなものです。

しかしながら、その隠遁生活を続ける2年の間に少女だったアンネの生理が始まったり、ピーターへの恋心が芽生えたり、お父さんに対する感情であったり、自分の夢や、自分の気持ちや考えを洗いざらい言葉にして、その言葉も飾らずに思ったことをストレートに書き記し続けて行く行為に、私はとても衝撃を受けたのを今でもはっきりと覚えています。

アンネは2年間もの間、外の世界に出ることなく隠れ家の中の狭いスペースで生活していました。しかしながら、その生活の内容が何百ページにも及ぶ文書として残っているのです。

そしてそのすべてはアンネの独り言というような内容です。

アンネが隠れ家で生活しながらも、協力者が集めた外の情報や、新聞などから得られる情報を頼りに世界情勢を想像し、その世界の先行きを見通す知見をもっており、そしてジャーナリストになるという自分の夢に対してもちゃんと前向きに考えることができている。
この本を読んで、わずか13歳の少女が考えている頭のなかの世界と、18歳のネクラな男子である私が考えている私の頭の中とのギャップに打ちのめされ、私もこの時から自分自身に関していろいろと考えるというような、私自身の癖みたいなものが出来上がり始めました。

私はアンネの日記を大学に通う途中の電車の中で読み進めていました。私はJR神戸線の新快速列車に乗って大学に通っていました。その新快速の中でアンネの日記を読んでいたのです。今でもこのJR神戸線の新快速列車に乗ると当時の思いが蘇ってくるような気がします。

とにかく私はこの「アンネの日記」という本にはかなりの影響を受けていると言ってよいでしょう。

影響を受けたというより、私が自分に自信を持てるようになるきっかけを作ってくれたのかもしれません。

ちょっと長くなってきたので、いったんCM入ります(次回へ続きます…)